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その時は突然やって来た
2011年は初頭から忙しくなった。父の体調が悪くなり長年通院をしている、かかりつけの総合病院へ入院することになったのだ。年始早々の出来事だったので、あわただしく2011年1月が過ぎていった。
父の病気は、もう23年という長い期間の大病で昨年9月頃に、とある部位の手術をした。術後は安静にしていなくてはいけないのに少し良くなったら、いつもと変わらない行動をしている父がいる。
周りは心配のため声をかけるが、本人は何処吹く風であった。
そして2月になり・・・
昨年から
「なんだか胸のあたりの筋肉痛がよくならない」
と父の看病の合間に母がよく言っていたのであるが、その時は予兆だとは思いもよらず
「なんだろうな~ でも、筋肉痛にしては長いよね・・・」
というような、のん気な会話だったけれど、その後、風邪の症状が出たので母のかかりつけの内科と、初めて診察してもらう耳鼻科へも行ったが、母の症状は、あまり良くならず、本人もさすがに辛くなって父と同じ地元の総合病院へ診察に行ったのが、母の運命の日となってしまった。
総合病院へ診察に行ったら、即入院になってしまった
「お腹が痛くなってガマンできなくなったので、○×病院へ行ったらすぐ検査になって、その後入院だって!!」(確かこんな感じだったような・・・)
と少し興奮気味な母が電話でそう話してきたが、この時はガンだとは、まだわからずにいた。母が入院するなんて珍しいことだったので、僕もなんだか不安な気持ちになっていた。
総合病院へは父が先に入院しており、前日まで母は父の世話をしに夕方病院へ通っていたのに、まさか自分が、この病院に入院する事になるとは母もビックリしただろうと思う。
夫婦二人仲良く、同じ病棟の部屋でお隣さん同士になった
母が入院した病棟は、たまたま父が先に入院している部屋のとなりで、こんな事もあるのだなぁ~と少しニヤけてしまった。入院ってイヤなものですが、父の入退院を幾度となく見てきた僕にとって少しばかり感覚が麻痺していたのかもしれない。
しかし、母の入院という事実は変わらず、自体は刻々と最悪の状況へと進んでいった。
腫瘍マーカーって何?
母が総合病院へ入院してから、1週間が過ぎるころ、腹痛の原因がわかってきた。その時に担当してくださった医師からの説明を二人で受けていた時に、パソコン画面を見ながら
「これが腫瘍マーカーの数値なんですが異常に高いでしょ?」
と・・・
先生がいった腫瘍マーカーという語彙が聞きとれずに、初めて聞いた単語に二人とも「???」だった。でも、大変な結果になってしまっていることは、直感でわかったので
「ということは癌という事ですか?」と聞くと
「そうですね・・・その可能性は高いと思います」と先生から気遣いの返答。
この時、説明してくれた医師は専門医ではなかったため後日、正式に大学病院へ転院することになった。
初めて聞いた「腫瘍マーカー」と言う言葉。用語として調べてみると癌になると血液中に増えて、癌の診断の指標になる物質ということがわかった。
まさか母が癌になってしまうとは・・・
母と僕は暫くの間、放心状態で正直、脳内は混乱していた。
癌の部位は卵巣、つまり「卵巣癌の疑いがあり」しかも「末期のステージⅣ」というあまりにも残酷な答えだった。