ブログ更新履歴
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2018.10.21
アニメ「はたらく細胞」は、すごく勉強になった
2018年7月〜9月まで放送された「はたらく細胞」。人間の体内を擬人化された細胞達が文字通り酸素を運んだり、細菌やウイルスと闘ったりして働いている様子を全13話に渡ってアニメーションとして楽しむ事が…
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2018.06.27
最近、やっと遺品整理をする心境になった
6年だ・・・捨てられる心境になるまで6年かかった「もう両親は、この世にいないのだからサッサと2人の物は捨ててしまえばいい・・・」母が亡くなった年の2012年頃は、そう思っていた。しかし、1年、2…
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2018.04.06
母がいなくなって6年経過した今の心境
母の命日に墓参りに行ってきた彼岸も終わり桜も満開になっていた3月下旬の某日、母の6回目の命日がやってきた。彼岸中に墓参りに来たであろう人達が添えていった枯れかかった花束を花立(はなたて)から取り除…
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2017.03.21
ガンは遺伝するのか?
基本的にガンは遺伝しないことを再確認できた母の事で、色々ガンについて調べていた時にも多分、書籍やらインターネットやらの情報で「癌と遺伝の因果関係」について、どこかで読んだはずなのだけれど完全に忘れ…
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2016.12.11
誤解を招くようなリンクは、やめてほしい
Google Search Console(グーグル・サーチ・コンソール)をチェックしていたら、2つのサイトから間違った表現でリンクをされている事に気がついた。誤解を招くような表現は絶対にやめてほし…
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2016.07.25
本を捨てないでくれて、ありがとう
本を捨てないでくれた両親に感謝約25年振りに若い頃に買って読んだ本に目を通すことになった。きっかけは、我が子の夏休みの課題図書である「夏目漱石の『こころ』」だ。テーブルの上に我が子が図書館…
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2016.07.13
なんだか微笑ましい光景だった
いつものファミレスで、見かけた親子月に数回だけど行くファミリーレストランで夕食をしていたら、60代位の男性と80代位の女性が僕の入店から30分後くらいに入ってきた。よくある光景なのだが、その日は僕…
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2015.12.30
あの「DeNA」が、遺伝子検査サービスをやっていた
自分の遺伝子がどういうものかを知ることによって、残された家族として今後のこともあるので一度、遺伝子検査をしてみたほうがいいかな〜と漠然と考えていたこともあって、何気なく遺伝子検査について調べていたら…
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2015.12.26
母に近藤誠さんの「がんもどき理論」が通用したのかを考えてみた
近藤 誠さんの「がんもどき理論」は極端すぎるかもしれないが・・・たぶん近藤 誠さんは、西洋医学ではタブーとされていることを「他の人を敵にまわしてでも患者に伝えておかなくてはならない」という正義感か…
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2015.12.23
母がガンと診断された2011年2月に出会いたかった一冊
いまさら、医者の本性を知ってもしょうがないと思っていたけれど・・・ある日の夕方、買い物のついでに、いつもの本屋に立ち寄ってみると、健康カテゴリーの棚に川嶋 朗という一人の医者が書いた本「健康法で死…
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2015.12.09
希望の光となるか!?「治験の新制度」と「患者申出療養制度」が来年(2016年)から始まる
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2015.12.03
正しい知識があればガンの9割は本当に予防できるのか?
いつもなら、インターネット上の記事を見ても、わざわざBlogの記事として取り上げようとも思わないけれど、久し振りに「おや?」と気になった記事を見つけたので、このブログにも感想を書いておくことにした。…
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2015.09.28
~明るくなんかできやしねぇ~
思いつきで書いてみた灰色の目になったあの日から いったい どれだけ過ぎただろう。あなたが白くなってから 僕の時間は止まってる。そっちで仲良くやっている? こっちはこっちでやってるよ。 もしも…
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2015.09.27
「ベロンの娘」さんへ
ブログを拝見しましたお母様とは、突然のお別れだったのですね。うちの母も「タマゴパンを食べたい」と言って、買ってきたことがあったのでタマゴパンの記事にはビックリしました。(なんとか涙をこらえました…
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2015.08.18
サイトのレイアウトをモバイル端末対応に変更した
時代の流れもあり(特にITは速い)ここ数年でウェブサイトもスマートフォンやタブレットPC対応になってきて、Googleもモバイルサイトに対応しているウェブサイトを優先して検索順位をあげることを始めた…
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2015.07.09
母がよく買ってきてくれたヨ○○ラパンの調理パン
ある入院中の日「何か食べたいものはある?」と母に聞くと「ヨ○○ラパンのタマゴサンドを食べたい。」と珍しくリクエストして来た。子供の頃によく母が俺達3人の子供のために買ってきてくれた「ヨ○○ラパン」…
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2015.06.20
書店の健康本コーナーに行ってみた
書店に立ち寄った時、なにげに健康に関するコーナーを眺めていると、「長生きするための本」「癌にならないようにする本」「成人病を予防する本」など、たくさん健康になる為の本があるけれど、一人の著者を信じて…
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2015.04.25
やっと、遺骨ペンダントを買った!!
去年、母の三回忌が終わり僕としては今後、法事をするつもりがないので、そのかわり妹と弟には遺骨ペンダントを買ってあげようと考えていた。そして、やっと遺骨ペンダント専門ショップ(神奈川県横浜市)に注…
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2015.03.30
早いもので3年が経過した
2年が経過した時にも心境を書いたのだけれど、今日は母の命日なので、我が子にも声をかけて2人でお墓参りに行ってきた。本当に少しずつ、水が1滴1滴こぼれていくように少しずつ少しずつ悪夢から解放されてい…
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2014.12.10
水を飲んでガンがよくなる!?悪徳商品に注意をしよう
悪党は許せない!!とある記事を読んでいたら、2014年8月に下記のような事件があったらしく、非常に腹が立ったので、つい感情的に書いてしまった。まとめサイトの情報「「強命水 活」」社長ら逮捕…
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2014.12.07
日本の医療は30年遅れている
母の闘病中、色々調べていたら「日本の癌治療は、30年は遅れている。」と知った。ようするに「切る(手術)・焼く(放射線)・打つ(化学療法)」を教科書どおりにくり返しているだけ。で、先日テレビ番組に…
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2014.10.18
どこかの誰かさんへ
もし、何気ない一言が原因で、本当はそんなことを言うつもりがなかったのに、言ってしまって両親と喧嘩をしてしまい疎遠になっているとしたら、一日も早く仲直りをしてほしい。子が親に!!というケースもあるし…
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2014.10.17
ジョブズさんが治療を拒んでいたとは知らなかった
2014年9月24日放送の「ザ!世界仰天ニュース 秋の4時間ビューティー&社会派SP」の後半でiphoneなどでお馴染みのアップルの創業者の一人でもある「スティーブ・ジョブズ」のことを取り上げていた…
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2014.08.03
そういえば発病する前は・・・
癌とわかる前に母は、近所にある総合病院の内科から独立した女医さんのクリニックに通っていたけど、その女医さんは患者が癌だということを発見できなかったんだよな~自覚症状が出ないと言われている卵巣癌なの…
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2014.07.25
書籍メモ:「がんと向き合う家族のための本」
目 次はじめに 第1章 がんと向き合う患者たちの心の動き 第2章 がん患者の家族たちの悩み第3章 病人を見送った家族たちの想い第4章 よい医療とは、生と死をしっかり見つめる…
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2014.07.24
書籍メモ:「名医のウソ」
目 次序 章 名医を作るのは患者である第1章 病院ですっきりしない理由第2章 病院選びの前に身につけたい医者との対話法第3章 「薬」は医者も知っているつもり第4章 治療経過の…
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2014.07.01
遺品を捨てられない②
ふと思った。そうだ!!洋服とか靴とか売れるものは売って、仏様のご飯となる線香代にしてあげよう・・・と。たとえ数千円にしかならなくても、そのほうが2人も納得してくれると思うし、そうしよう。
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2014.06.17
結局、あの時どうしてあげればよかったのかな~
近藤誠氏の著書「医者に殺されない47の心得」を立ち読みして思ったことは、「抗癌剤の効力がきかなくなった、あのタイミングで転院させたほうが良かったのか?」でも当時、大学病院に通院できることで「ひとま…
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2014.06.17
近藤誠氏の書籍を立ち読みしてきた
先日、ふら~と寄った書店で、抗癌剤治療などを否定している近藤誠氏の著書を立ち読みした。母の闘病中も近藤誠氏の書籍は何となく気にはなっていたけれど、当時、有無を言わさず抗癌剤治療を始めてしまって…
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2014.06.10
図書館へ行って、2冊の本を借りてきた
近藤誠氏の本を立ち読みしてから、ふと疑問が湧いてきた・・・結局、「どうしてあげればよかったのだろうか」と。答えなど見つかるはずもないけれど、久し振りに図書館へ足を運ぶことにした。母の闘病中には…
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2014.05.27
遺品を捨てられない①
母の葬儀が一段落して、相続の件が落ち着いたら不要な物は、ドンドン捨ててしまおうと思っていたが、一向に捨てられない物の中に、2人が身に着けていたものがある。衣類や靴だ。父は母が亡くなる前に旅立った…
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2014.05.23
癌が治る温泉がある!?
(癌になったら)抗癌剤が効かなくなった場合の選択肢として温熱療法がある。当時、調べたのは「ハイパーサーミア」とういう療法だ。しかし、高額だったし治療の併用は母が嫌がっていたので、できなかった。…
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2014.05.10
今日は父の命日なのでお墓参りに行ってきた
もう、父が向こうに行ってから3年が経った。4月5日に母の3回忌をしたので、約1ヶ月ぶりのお墓参りだった。ちなみに明日、5月11日は母の日。霊園の花販売所にもカーネーションを絡めた花束を販売して…
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2014.04.05
母の三回忌の法要が無事に終わった
1周忌の時は、親戚の叔父さん達にも声をかけたし、家族にも参加してもらったけれど、今回は妹と弟の3人だけで行うことにした。母からしたら子供達だけということになる。よく「法要は、命日までのほうが良い…
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2014.03.30
2年経過した今の心境
今日は、母の命日である。悪夢から3年以上経過し、母がいなくなって2年が経った。今でも病院から連絡があった時のことは鮮明に覚えている。母が亡くなる約1週間は個室に僕達子供3人が夜遅くまで母の傍…
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2014.03.12
現実となった相続のこと
もっと先のことだと思っていた相続に関すること。待ったなしでやることになってしまった。なので僕は、親の介護をほんの少しだけしかやってあげることができなかったけれど長期間、介護をされている方は、本当…
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2014.03.11
父と母が教えてくれたこと
父は、50歳の時に発病し、23年間難病と闘って苦しみ、最後は今日、自分が死ぬという自覚のないまま永遠の眠りについた。母は、66歳で発病して、13ヶ月でこの世を去った。13ヶ月の間、抗癌剤の副作用で…
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2014.03.10
あの人達は元気かなぁ~
母が抗がん剤の投与で入院中に出会った人達、同じ癌を持つもの同士お互いに「大丈夫 大丈夫」と声を掛け合っていた。戦友ともいえる者同士で、とても明るく元気に話をしていた。その中の1人で30代くらいの…
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2014.03.09
最後の最後まで、素直に言えなかったこと
あの時は、自分でもパニックになっていたと思う。亡くなる数日間まで・・・モルヒネを打ってもらっていたので母も意識が朦朧として、常に吐いてしまっていた状態でも、母に聞けるうちに聞いておかなくてはいけ…
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2014.03.08
たったひと言でいいから、ほしい言葉
「大丈夫治りますよ。」と言ってくれた医師はいなかった。まー このひと言が言える医師なんて現実には、ほとんどいないだろう。ましてや、末期癌の患者にはね。淡々とデータと専門用語を並べて、心のない説…
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2014.03.07
セカンドオピニオンと転院
大学病院には「セカンドオピニオンについて」という張り紙が目に付くところに貼ってあって、あたかも簡単にできそうな雰囲気を醸し出しているが、実際はホイホイとできるシステムではないと言いたい。13ヶ月の…
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2014.03.06
癌に勝つために何よりも大切なこと
「生きてやる!!」という気持ちや「癌なんかに負けてたまるか!!」という闘争心が必要だと思う。その気持ちが強ければ強いほど、癌という病気と闘えるのではないかと・・・言葉でいうのは簡単だけれども、こ…
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2014.03.05
「食事療法でガンを治す」について考えてみた
母の癌が発病してからというもの、「病院任せにしていたら母が死んでしまう。」と思っていたので、気がつくと誰もが行う情報収集をしていた。その中に「食事療法でガンを治す」のページに記載した内容がある。…
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2014.03.04
癌の最大の敵はストレス?
母は、心配性で神経質なところもあり楽天家な僕からすると、「そんなこと気にする必要ないのに」と感じることが多かったし、普段は明るく前向きに見えても父が亡くなってから1人になると余計に不安だったろうと今…
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2014.03.03
僕(患者側)が思う名医とは・・・
「こちら側の話をちゃんと聞いてくれて、人の心の痛みがわかり、固定観点にとらわれておらず、自分で手に負えない場合は、他の医師や医療機関を紹介してくれる人」かな~ある用事で母の友達の友達に電話をするこ…
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2014.03.02
病院に対する素朴な疑問
「食事療法でガンを治す」について考えてみた の追記的な内容になってしまうが、母のような癌患者が食事をする場合、なぜ患者側が自分で調べないと癌に悪い食事、癌を治すであろう食事がわからないのだろう。…
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2014.03.01
母と過ごせた濃厚な時間
実家からそう遠くない場所に僕は住んでいたが、母のところに毎日通うことはできなかった。だけど人生の中で13ヶ月という短い時間を母と過ごせたことは、僕にとって幸せだったかもしれない。それでも、週に最…
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2014.02.28
サイトの入替作業を完了した
このサイトを作成し始めた当初は、ブログ形式の機能が簡易的なものだったので、どうも使い勝手が悪かった。今回、サイト内に別で設置できるブログ機能形式に作り直したので、これで更新も出来やすくなった。自…
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2014.02.27
もう、そろそろ平気かな~と思ったが・・・
何気なく始めた、このサイトの編集作業だが今年で母の三回忌だし、過去の記事を見ても大丈夫だろうと思ったけれど・・・ダメだった。編集中にどうしても自分の書いた文章を読んでしまうので、「あーこの時はこ…
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2013.09.06
毎週楽しみにしていたドラマ「DOCTORS2」が最終回となった
相良 浩介(沢村一樹)のような、本当の意味で患者の立場にたってくれる医者に出会えることは皆無。あめくみちこさんが演じた患者の台詞のいうとおり、雑誌に載っている医師とか大学病院とか教授とかに惑わされ…
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2013.05.17
漫画「ブラックジャックによろしく」は、その通りだと思う
今、iphoneでダウンロードできた漫画「ブラックジャックによろしく」を読んでいる。まさか、無料で配布しているとは知らなかったけど、すごくありがたいサービスだと思う。スマホだと文字が小さいので、こ…
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2013.05.17
母の生き地獄を間近で見ていたから思うこと
抗がん剤での延命治療は、本人を苦しめてしまっただけなのではないかと・・・似非評論家や似非政治家、そしてマスコミがいう「日本の医療システムは、遅れている」って、もう何十年と同じことを聞かされてき…
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2011.12.27
2011年最後の診察の日
激動の年であった2011年・・・母のガンの発病東日本大震災父の死妻の手術と「何だ!?何だ?何だ!!」と言っている暇も無いほどに目まぐるしく1年間を過ごしてきた。病院も休みに入るため、最…
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2011.12.22
抗がん剤5回目(イリノテカンのみ)
第2クール 2回目本年最後となる、抗がん剤の点滴。先週は中止となったので今日は中止にしないだろうと予想していた。その結果・・・点滴は実施された。13:30頃に始まった点滴は16:50頃に終了…
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2011.12.16
抗がん剤投与は中止となった
抗がん剤投与の予定であったが、主治医の判断で(白血球の数値が低かったためか?)投与は中止となった。本人は正直「ホッ」としていた。
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2011.12.09
抗がん剤4回目(ネダプラチン・イリノテカン)
第2クール 1回目投与は、11:50~16:10途中点滴を刺した針の付近が少し腫れてきたので、右手から左手に点滴を刺しなおす。タイムラグ約30分。帰る頃には、もう吐き気が始まっていた。車内…
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2011.12.02
抗がん剤投与の休みの日
WBC(白血球)→2,860(1ヶ月前:3,370)腫瘍マーカーCA19-9→54.1(1ヶ月前:36)CA125→125(1ヶ月前:297.7)ヘモグロビン→10.5
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2011.11.28
輸血をした
先週3回目の抗がん剤が終了したあとに輸血をすることが決まったので、今日はその輸血をした。ヘモグロビンの数値が下がってきたので、その為らしい。どうでもいいことであるが、前回この輸血の予約を取るとき…
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2011.11.25
抗がん剤3回目(イリノテカンのみ)
第1クール 3回目(1クール目が終了した。)前回の投与以後の副作用は、軽めだったようだ。(よかった)それに吐き気止め(ナゼア)も服用はしないですんだらしい。今日は前回と同じ内容の投与であったが…
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2011.11.18
抗がん剤2回目(イリノテカンのみ)
第1クール 2回目母としては、やはり吐き気が心配だったらしく、イメンド(吐き気止め)をほしがっていたが処方はされなかった。担当医曰く「大丈夫!! 」と太鼓判を押された。吐き気を感じたら「ナゼア…
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2011.11.14
副作用の下痢が1回あった
夜中に一度、副作用の下痢があったようだが、ひどい下痢ではなかったらしい。今回の抗がん剤の副作用で大変だったのは、やはり吐き気である。正直、見ていて痛々しくって、たまらないほどであった。入院中は…
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2011.11.13
1日起きている事が出来るようになる
夕方に様子を見に行った。今日は、1日起きていられるほどになる。しかし、味覚が麻痺していて水も苦く感じるらしく、食事も味がしないので「おいしくない」と言っていた。あれから、もう1錠ナゼア(吐き気…
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2011.11.12
昨日よりは、だいぶ楽になったらしい
3:00頃ナゼア(吐き気止め)を飲んだらしい。 15:10頃に妹(連続して来てくれた)に電話して聞いたときには、「ソファーに座ってる」と言っていたので、起き上がれない状態に比べたら少しは楽になった…
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2011.11.11
副作用の吐き気が酷くなって起きられないほどに・・・
昨日からジワジワとはじまった副作用であるが、心配していた下痢ではなく吐き気のほうが強かった。妹も15:00頃に来てくれていた。退院して翌日からこの状態だったので、タキソール・パラプラチンの初回と…
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2011.11.10
2回目の入院の3日目(退院)
退院は、したが・・・昨日、抗がん剤の投与をして退院したが、自宅に戻ってお昼を食べて、しばらくすると副作用の吐き気が始まった。 「なんか胃がムカムカする」というので、予測していた日(副作用は投与か…
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2011.11.09
2回目の入院の2日目
新しい抗がん剤の投与開始第1クール 1回目 (ネダプラチン・イリノテカン)10:00~16:00までの投与だった。病院には投与が終わってから1時間位してから行ったのであるが、妹も来ていてくれて…
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2011.11.08
2回目の入院の1日目
入院手続きが終了して、病室へ移動した後に担当医から説明があった。今度の抗ガン剤投与のスケジュールは、前回までのタキソール、パラプラチンと違う投与スケジュールとなる。新しい抗ガン剤は「ネダプラチン…
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2011.11.04
入院前の診察
診察から帰ってきたら、腫瘍マーカーの数値をプリントしてきてもらっていた。WBC(白血球)3,370腫瘍マーカーCA19-9→36 (基準値 0-37)CA125→2,977 (基準値 35…
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2011.10.28
白血球の値は、約3000に上がってしまった
いつも通りの診察だった。輸血をしたので、WBC(白血球)は、約3,000だったらしい。入院前にもう一度来週診察があるのだが、今日もスムーズに終わり、病院のあとに行く予定となった「漢方薬局への相談…
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2011.10.21
診察日(PET検査の結果がわかった日)
神様なんかいなかった予想はしていたものの、現実は容赦のない結果になった・・・結論からいうと肝臓の上あたりと腸管(イマイチ ピンとこないけど)に腫瘍が見つかった。それと、少しづつ腹水も溜まってき…
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2011.10.14
これからが本番か!?
昨夜、「PET検査の結果がまだ出ていないので・・・」と担当の先生から電話があったらしく、今日は診察室への同席はなかったので、いつもの診察日となった。母が診察から帰ってきて、開口一番「なんだか腫瘍マ…
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2011.10.10
抗ガン剤による副作用のピークの日
世間では「体育の日」と祝日であるが母にとってはそれどころではなく、ひたすら癌との闘いである。毎度のことはながら、つらそうであり今日は午前11時頃~午後5時頃まで妹が世話をしてくれた。俺はというと…
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2011.10.09
心配なので夕方に母の様子を見に行った
毎度のことながら、副作用が心配なので母の様子を実家まで見に行った。やはり元気がない・・・夕飯もいつもの胚芽米に十五穀米を混ぜたものを炊いてあったが、このままだと少し硬いの粥っぽくして出した。副…
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2011.10.07
第8回目の抗がん剤投与
点滴時間 11:00頃~16:00頃に終了第8回目の抗ガン剤の投与は予定の通り行われた。今回で8回目であるが、前半の頃は白血球の数値が低いと延期されいたが、最近では多少数値が低くても点滴をやって…
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2011.10.04
PET検査
PET検査は、9時30分頃から始まり11時30分頃には終わったようで、待ち合わせをした院内の場所に行ったときには、母はもう座って俺を待っていた。初めてのPET検査のために緊張したのか、少し疲れた様…
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2011.09.30
いつもの診察日
今日は白血球を上げる注射かな?と思っていてが、WBC(白血球)の数値は2,500ということで、(1,000以下にならなければよいらしい)注射はなかった。今日、注射がないということは、土・日も来なく…
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2011.09.22
第7回目の抗ガン剤投与後の診察
WBCの数値は、3,200珍しく14:00からの診察だったので、朝はゆっくりできた。副作用のことも主治医に報告していたようであるが、特にこれといって返答に手応えがあったかというと、案外そっけなか…
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2011.09.20
抗ガン剤投与から副作用が治まるまで
副作用も落ち着き始めた・・・昨夜の腹痛は今朝には、だいぶ楽になったらしく。夜に様子を見に行ったときには顔色もよく夕食の準備をしていた。<今回の経緯>抗ガン剤投与から副作用が治まるまで金曜日…
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2011.09.19
副作用の腹痛がひどくなった!!
昼間に妹から留守電が入っていて「お母さんからお腹が痛いと電話がきた」と・・・症状が出たのが昨夜、俺が帰った後くらいから、お腹がジリジリという感じで痛くなってきたらしい。15時30分位に母のところ…
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2011.09.18
副作用の状態が心配なので・・・
心配なので18時30頃に様子を見にいった。この時はまだ、症状も出ていなかったので安心したのであるが、実は俺が帰ったあとに副作用の「腹痛」が始まった。抗ガン剤が癌細胞を攻撃し始めたのだろうか・・・…
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2011.09.16
第7回目の抗ガン剤投与をした
前回の主治医からの説明のとおり、抗がん剤の点滴は継続された。腫瘍マーカーもジワジワと上がってきている・・・ガン細胞よ!!全部消滅してくれ!!
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2011.09.09
担当医から今後の治療方針を聞いて・・・
今日の白血球の数値は3,500久しぶりに診察室に一緒に入り今後の治療方針を聞いた。その結果、10月4日(火)にPET検査をすることが決定した。そして、抗がん剤の投与は今後も続けていくとのこと。…
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2011.09.02
卵巣癌ではない???
白血球の数値は、4,390と注射の効果もあってか、今までで一番高い数値と言ってもおかしくない結果になっていた。先週、CTの検査をしたので、今日には検査の結果と今後の治療方針が決まると思っていたが、…
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2011.08.12
第6回目の抗がん剤投与が終わった
白血球の数値は2,800での抗がん剤投与の実施。この日が当初、化学療法の計画された回数(合計6回)の最終日。第1回目の点滴からの経緯を整理すると・・・第1回目:2011年2月18日第2回目…
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2011.08.05
白血球の値は、2850だった
白血球を上げる注射をしたものの、数値は3,000を切っていた。来週は、抗がん剤投与の予定。その時も数値が3,000未満でも投与してしまいそうである。
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2011.08.01
母を父の墓参りに連れて行った
父の納骨が49日に終わった後、夏の暑さなどで母は墓参りに行けなかったが、ここのところ天気が曇っていて、気温も日差しもやさしくなっていた為に、二人で墓参りに行くことにした。実は昨日、注射にいく時に「…
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2011.07.31
白血球の数値を上げる注射(7月下旬の3回目)
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2011.07.30
白血球の数値を上げる注射(7月下旬の2回目)
考えてみると上旬にも注射をしていた。金曜、土曜、日曜と注射を打ちにいくパターンも慣れてきたので、30分もかからずに処置が終わり、帰りにいつものスーパーに寄って帰る・・・天気は曇りで猛暑も一休みが…
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2011.07.29
白血球の数値は過去最低・・・
診察後にいつも聞いている「白血球の数値」であるが、1,500と、とても低い数値となった。22日の抗がん剤投与の影響なのか、体とがん細胞が抗がん剤に慣れてきたせいか・・・素人にはわからない。いつ…
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2011.07.26
昨日の吐き気が治まった
この日の午前中(だったと思う)に電話してみると昨日とは、うってかわって元気な声だった。電話をする前に来客があったらしく、声もよくでていた。様子を聞くと昨日の吐き気は昨夜、妹が帰ったあと位(20:…
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2011.07.25
副作用の吐き気がひどい状態
この日は、我が子に「ばあば大丈夫?」という電話をしてもらったのが、きっかけだった。でも、思いのほか吐き気がひどかったらしくて、電話を変わって声を聞いてみると、やはり元気がなかった。 朝6:00…
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2011.07.22
第5回目の抗ガン剤の投与ができた
投与の時間 10:30~15:40WBC(白血球)の数値は、2,250と低かったが、「あまり間隔をあけると良くない」との先生の判断で今日、点滴をすることになった。やはり、前回と同じ2割程度薬を…
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2011.07.15
腫瘍マーカーの数値が上がってきた
数値は143発病時は1,600だったが、7月1日のときは10.2という数値だった。しかし、1回投与をキャンセルしなくてはならなくなった時の影響が出てきているのか、それとも体が抗がん剤に慣れはじめ…
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2011.07.10
白血球の数値を上げる注射(7月上旬の3回目)
猛暑の中、3回目の注射をしてきた。昨日と同様スムーズに注射は終わり、また同じスーパーに寄ってきた。今日は先週の金曜日と昨日に貰った、スーパーの抽選券のクジをやりに行くのが目的だった。母に引いて…
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2011.07.09
白血球の数値を上げる注射(7月上旬の2回目)
パターンが、わかってくると予定が立てやすい。待ち時間も少しで2回目の注射をしてきた。帰りにスーパーで胚芽米とペットボトルの水の(ボックス売り)を買って帰ってくる。
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2011.07.08
診察と白血球をあげる注射を打つ
白血球の数値が2,200と下がったので予想の通り又、白血球を上げる注射をする。本格的に猛暑が始まり、体力を消耗しないように自分も母も気をつけなければならないと思った。先週は1週間、母のところに行…
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2011.07.01
抗がん剤投与4回目から1週間経過
診察前に「腫瘍マーカーと白血球の数値を聞いてきてね(印刷してもらうことを要望した)・・・」といったものの、内診が入ったらしく、「すっかり忘れてしまった」って、診察が終わって帰ってきたら返答された。…
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2011.06.27
両分子フコイダンは、高額なので購入をあきらめた!!
夕方、抗がん剤の副作用が心配だったので様子を見にいく。ニンジンシューズも作って、夕飯も一緒に食べた。やはり独りだと寂しいようで、「二人で食べたほうが、やっぱりおいしい」と言っていた。副作用とい…
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2011.06.26
父 49日の法要
天気は「曇り時々雨」だったが、法要の時に雨は降らなかった為、本当にありがたい気温での法要だった。妹と弟に手伝ってもらって、スムーズに事が運んだと思う。こういう時、兄弟がいると良いと感じる。墓地…
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2011.06.24
今日は点滴できるか!?
白血球の数値は、2,800結論から言うと、抗ガン剤の投与は実施された。白血球の数値は2,800と低いものの薬の量を減らしての実施。やっと点滴ができた。実に2ヶ月ぶりである。この2ヶ月で髪…
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2011.06.17
白血球(数値→3210)は、クリアしたものの・・・
いつになくスムーズに血液検査も終了して、診察までの待ち時間も15分~30分くらいだったと思うが、診察から帰ってきた母が「今日はもともと点滴の予定ではなかったんだって~」と・・・なんと先週に担当医が…
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2011.06.16
ひょんなことから母が自ら動き始めた!!
発病してから4ヶ月が過ぎて、これまで色々な情報を集め書籍を読み、母に「この本にはこういうことが書いてあったから、やってみては?」とか「食事療法はこれがいいらしいよ」などと間接的に伝えてきたが、母が自…
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2011.06.15
免疫力を上げなければ・・・
白血球の数値が上がらないので抗ガン剤を投与するスケジュールが思うように行かずに正直本人は一喜一憂をしているのであるが、筋肉や体重と違って、数値は自分では測れないため雲をつかむようだ。しかし、数値を…
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2011.06.14
気分転換も大切!!
父の使用していた物や母が気になっていた布団の処分を気分転換も兼ねて少しだけ遠方(といっても市内だけど・・・)へ一緒に行ってきた。母には途中、農家が直接販売している野菜の販売所へ寄って、おいしいトマ…
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2011.06.12
注射:3回目
昨日に引き続き2回目の注射。今日も、すっきり早くにやってもらえてストレスなく終わった。昨夜、インターネットで「みんなの闘病日記」なるサイトをみつけ、そこで代替治療の健康食品として「フコイダン」と…
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2011.06.11
注射:2回目
先週とは打って変わって、ものの10分もたたないうちに注射が終わった。あっけないくらいだったので、待ち時間に何もできなかった。でも、待たされるよりも、そのほうがいいよなぁ~明日は3回目の注射に行…
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2011.06.10
今日は、いけると思ったけれど・・・
白血球の数値は、2,360前回から10しか上がっていなくて、今日も抗ガン剤の投与はできなかった。正直、今回はできると予想していたのだか・・・また残念であった。担当医から白血球を上げる注射をする…
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2011.06.03
この日も残念な結果 (白血球→2350)
白血球の数値が2,350と低く、抗ガン剤の投与はできなかった。除々に数値が上がってきているもの投与ができずに残念だった。H先生との話で、腹水はまったく溜まっておらず、順調とのこと。白血球を増や…
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2011.05.29
救急外来 3回目の白血球を増やす注射をする
救急外来の受付のおっちゃんのミスで90分待たされ母はイライラしていた。後からきた人が、どんどん診察を受けていくのを横目でみていて「おかしい?」と思ったらしく、1時間以上経過して受付に聞いたら、順番…
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2011.05.28
救急外来
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2011.05.27
診察(白血球→2060)
白血球を増やす注射をする。血液検査後の診察で白血球の数値が2,060だった為に抗ガン剤の投与は見送りとなる。胃の調子が悪いので、胃薬を処方してもらい帰宅。この日も投与の予定で行ったのであるが、…
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2011.05.21
救急外来
この日は、通院日ではなかったが午後3時頃に電話があって「熱が37度5分に上がっちゃったので、○○○(弟)に病院につれて行ってもらうから」と・・・母のところへ弟が来ていたので、俺も助かった。俺は、…
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2011.05.13
診察(白血球→4000 腫瘍マーカー→1600)
主治医のH先生は不在であったが、思いのほか白血球の数値がよく4,000であった。腫瘍マーカーの数値も教えてくれて、1,600であり病院としては1,500を目指すという。母も具体的な数値を聞き始め…
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2011.05.10
母の闘病とは別なショックなこと
とうとう、その時が来てしまった母がガンと闘っている最中(さなか)に、とうとう来てしまった。23年間、難病と闘い続け、父の身体はボロボロだった。入退院を幾度となく繰り返し、大動脈瘤の破裂による出血死…
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2011.05.06
診察(白血球→2010)
だいぶ通院にも慣れてきたし、本人も抗ガン剤と癌の影響による自分の体の反応がわかってきたことと、治療スケジュールの先が少し読めるようになってきたので精神的にも安定してきた感じがする。
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2011.04.28
診察(血液検査→CT検査→診察)
やはり前回の抗ガン剤投与のあと4~5日は副作用に苦しんだようだった。手足のしびれもあり、髪の毛もほとんど抜けてしまった母を見るのが辛い・・・この日、帰りに肉屋へ寄って豚肉を買って、久しぶりに俺に…
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2011.04.22
3回目の抗ガン剤投与(白血球→2900)
「今日もダメかもしれない」と向かった病院であったが、4月1日の予定だった3回目の抗がん剤投与をする事ができた。実に前回から6週間が経過して、投与計画の「3週間に1回の抗ガン剤投与のサイクル」は計画…
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2011.04.15
診察(白血球→1100)
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2011.04.08
診察
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2011.04.01
予定では、抗ガン剤投与のはずだったが・・・
3回目の抗ガン剤投与だったが、白血球の数値が上がらず投与はできなかった。母も俺も抗ガン剤投与の予定で来たので、なんだか気疲れしてしまう。
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2011.03.25
診察
いつも病院の後に大量に買い物をするのであるが、少しずつだけど物資の供給が戻ってきたよう・・・でも、まだ100%ではない。
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2011.03.17
診察
抗ガン剤の投与をした2日目くらいから副作用が出始め、4~5日は体調も悪いが、その後は少しずつ体も動くようで「副作用のサイクルがわかり始めた」と言っていた。診察は、その後の経過をみるために1週間置き…
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2011.03.11
2回目の抗ガン剤投与
初めて通院しながらの抗ガン剤の投与をした。処置室で色々な点滴や処置をされている患者さんがいて、母もその中の一人となる。この日は、東日本大震災が発生して院内も緊張状態となり、余震の影響で点滴も幾度…
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2011.03.04
診察
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2011.02.25
診察
自分で、どんどん歩くことができて、びっくりした。(T叔母さんも同行してくれた。)この間まで車椅子に乗っていたのが嘘のようでした。 この日の夜、父が退院した。
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2011.02.22
CT検査
検査のみで、この日は帰宅。待ちに待った母の妹のT叔母さんが遠方より来てくれて、久しぶりの姉妹対面で二人とも、うれしそうでした。
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2011.02.21
予定外の診察に行った
腹痛がひどいために電話をして外来を受診、予約日ではないためにH先生ではなく、その上司のM先生だった。この人は現実的なことをグサグサ言ってくる人だったので、母は相当ショックだったらしい。その後も母…
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2011.02.20
救急外来へ・・・
お昼頃、母から連絡がきた。昨日、ロキソニンを処方されて飲んでいたが、お腹の痛みが治まらなかったようで、もう一度病院へ行くことになった。この日は、日曜日ということで救急外来だったが(H野先生)この…
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2011.02.19
転院先の病院を退院
病院をあとにして、そのまま病院の外注先?であるMRI検査施設へいく。理由は次の検査を速くしたほうがよいとのことだったけれど生憎、土曜日だったので病院では検査ができない為に、こちらで検査をすることに…
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2011.02.18
転院先の病院2日目
1回目の抗ガン剤投与開始。拒否反応(酔っ払った状態)にならずにすんで、スムーズに第1回目の投薬が終わった。正直ホッとした。病室は、ホテルのようにキレイで眺めもよく。本人も気分転換になったよう…
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2011.02.17
大学病院へ転院をした
M先生、H先生(女医)から詳しい検査の話を聞く。結果は、卵巣癌ステージⅣだった。病院を後にして、父が入院している総合病院へ行き、母のことを話した。「え!?」と、もの凄く驚いて、あの時の父の表情…
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2011.02.16
総合病院を退院した
といっても大学病院へ転院のために退院したまでのこと。担当の先生の提案により、本人にとっても気分転換にもなるだろうと一晩、自宅で過ごしてからの転院にしてもらった。(ありがとうございます)退院後、自…
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2011.02.14
大学病院へ検査に行ってきた
入院中であったが「外泊扱い」で紹介状を持って大学病院に行って検査をしてもらった。外来診察ではK先生に診察してもらい、その後検査へと移った。4~5つの検査をしてから再度、外来へ戻り説明を受ける。…
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2011.02.12
検査結果が出た
主治医から検査の結果は、「大腸の検査は異常がなかった」でも、腹水が溜まった原因が不明だった。残念な事に、この総合病院では腹水の細胞検査ができないためにPET検査(外注)か大学病院もしくは、検査がで…
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2011.02.07
ほんの序章に過ぎなかった
母は、お腹が痛いと訴えて仕事着のまま総合病院へ行った。そして、この日の検査で腹水が5~6リットル溜まっていたことが分かり、そのまま詳しい検査をする為に緊急入院することになってしまった。このとき僕…
とても頑張ってガンと闘ったけれど・・・
ガンの治療をしていた母(1945年生まれ)に代わり、あくまでも家族としての目線で発病時期から闘病の様子を書いていました。発病当初(2011年2月初旬)の診断は卵巣癌ステージⅣの疑いありという結果で開始された抗がん剤の投与でした。(治療から数ヶ月経過した結果、卵巣癌及び腹膜癌だという事が分かりました)
発病前の自覚症状を振り返ってみると、いくつかあったらしいのですが当時は、まさか癌だとは思っていなかったので、母は普段通っている内科に行った時に相談をしたり、接骨院に通ったりしていました。ガンだとわかる前は、父が体調を崩して入退院を繰り返しており、母は仕事をしながら父の面倒をみていましたが、そんな母の体に異変が起き始めていました。
特に激しい運動もしていないのに胸部周辺に筋肉痛と同じような痛みがあると、訴え始めてから数ヶ月経過したある日の事でした。その頃には、お腹が張っていた事もあり体重も少し、いつもより多くなっていたらしいのですが、痛みに我慢が出来なくなって、父が入院していた総合病院で診察をした日が運命の日となってしまいましした。
母が長年、感じていた違和感の正体
それまで母が感じていた胸部の筋肉痛のような痛みと腹部の張りと痛みは、胸水と腹水だったのです。数日の検査入院をした結果、医師に胸水と腹水の腫瘍マーカーの数値が異常だと言われ、そこで初めて母はガンになってしまった!!とわかりました。そして近所の総合病院から少し離れた大学病院へと転院し、ガン治療が本格的に始まりました。しかし、闘病期間13ヶ月で、この世を去ってしまいました。
このブログには、発病当初の2011年2月から2011年12月までの様子を書いてあります。2012年01月~2012年3月の期間(母は2012年3月下旬に旅立ちました)は、僕の精神状態もギリギリに達してしまったので記録を書く事が出来なくなりました。そんな事もあって、長い間サイトの更新をしていませんでしたが、まだ少しばかりアクセスをしてくださる方がおられるようなので、このサイトを通じて誰かの役に立てれば幸いだと思い、閉鎖をするのは中止にしました。
悪夢の日から、もうすぐ2年・・・
そして現在、少しだけ精神的に落ち着いてきた為、残された家族の心境などを書いていければとも思うようになりました。サイトを公開していて、矛盾しているかもしれませんが、闘病中の方は「癌から生還した人の話などしか、見たり聞いたりしてはいけない。」と言われています。(ようは前向きな話だけ吸収したほうが良いという事です)
気分が落ち込むと免疫力が下がるので、自分で身体を治そうという力(自己治癒力)が弱まってしまうという理由があります。なので、当サイトは、ご家族の方が「あー こういうケースもあるんだぁ」程度の事を感じてもらえれば幸いです。
もし僕と同じ立場の方がいらしたら胸中お察し致します。それと同時に闘病中のご家族の生還を心よりお祈り申し上げます。
2014年2月吉日
追記 2016年4月23日
自分で自分の記事を紹介するなんていうのは、おこがましいのですが、ご本人がまだ治療に入る前の段階であれば、この書籍を読んでおいてほしいなぁ〜と思ったので、トップページに追記しました。
なぜ、治療に入る前なのかと言いますと、ご本人とご家族がまだ元気な状態だからという理由です。治療方針が決まってベルトコンベアーに乗ってしまうと、あれよあれよと言う間に気力も体力も徐々に削られていってしまいます。
そうなる前に医師の本音の部分が書いてある書籍を参考までに読んでおけば、少しは治療を受ける側も武装できるのではないかと・・・
- 書籍名 : 「医者は自分や家族が がんになったとき、どんな治療をするのか」
- 著者 : 川嶋 朗
この本を読んだ感想は「母がガンと診断された2011年2月に出会いたかった一冊」として、僕も少しばかり書きました。興味のない方は僕の読書感想文は読まなくていいのですが、このような本をご家族の方が読んでおけば、ご本人のサポートに役立つのではないかと思うのです。
しかし、編集者が決めたであろう「99%の医者が抗がん剤を使わない!?」という売れるためのキャッチコピーは少し言い過ぎかもしれませんね。
追記、失礼しました。