2011年最後の診察の日
激動の年であった2011年・・・
母のガンの発病
東日本大震災
父の死
妻の手術
と「何だ!?何だ?何だ!!」と言っている暇も無いほどに目まぐるしく1年間を過ごしてきた。
病院も休みに入るため、最後は診察のみで終わったのであるが、12月26日に妻が同じ大学病院の母と同じ先生に偶然、子宮筋腫の手術(子宮ごと摘出)をしてもらった。
手術は無事成功したので、ほっとしました。
そんなこんなで、2011年が終わろうとしています。
来年は、平穏な年であってほしいと切実に願います。
皆様も良いお年をお迎えくださいませ。
追記 2018年10月22日
本サイト「13ヶ月ガンと闘った母の記録」の「母のガン闘病記録」を読んでくださった方には申し訳ないのですが、このページをもって(2011年12月27日)、僕がweb上に書いていた「母のガン闘病記録」は終了しました。
翌年の2012年1月から母が力尽きる3月30日までの記録は断片的であるけれども凄まじく、僕の記憶に残っています。手書きの記録などは何処か探せば出てくると思いますが、読み返すのが今だに辛いので、探そうともしていません。
抗がん剤の副作用の他に母は、発病当初から腹水がお腹に溜まって苦しんでいました。それで大学病院で腹水を抜いてもらうのですが、腹水を抜くと身体の栄養部分も失うので、体力がなくなります。腹水を抜いた日と抗がん剤を投与した日の母は、帰る頃になるとフラフラで車椅子を使用する事もありました。
最後の3ヶ月は、母の身体は更にボロボロになり目を離すことが出来ない状態になりました。(1人では起き上がる事ができなくなる)そして、訪問看護をしてくれる病院に行き手続きをしたり、ホスピスの病院を探すなどをしている矢先に母は力尽きてしまいました。
だいぶ端折って書きましたが、こんな感じです。
「時間が経過すれば続きを時系列でブログ記事として書く事ができるだろう・・・」と思っていますが、まだ書けません。
ごめんなさいね。