母がいなくなって6年経過した今の心境
母の命日に墓参りに行ってきた
彼岸も終わり桜も満開になっていた3月下旬の某日、母の6回目の命日がやってきた。彼岸中に墓参りに来たであろう人達が添えていった枯れかかった花束を花立(はなたて)から取り除き、墓の掃除を始めた。汗ばむ気温ではあったけれど、少しだけ風が吹いていたのと、夕方に墓に行ったことも幸いして、汗っかきの僕でも我慢のできる暑さだった。
30分くらいの時間をかけて墓の掃除をした後、墓地の目の前で商売をしている花屋で買った名前も知らない真っ赤な花1束と母の好きだった桜の1束をそれぞれ墓の左右の花立に挿してから、持参したロウソク立てに細いロウソクを取り付けて、ZIPPOライターでロウソクの芯に火をつけようとするも風が邪魔をしてロウソクの火は、すぐに消えてしまう。
数回、火をつけてやっとロウソクに火が灯ると今度は線香に火をつけようとするのだが、持ってきた線香に着火をしても、やはり風が邪魔をする。まるで母が「そんなに急がなくてもいいから、もう少しゆっくりしていきなさい」とでも言っているかのようだった。風でロウソクの火が消えては又、火をつけなおすを繰り返してようやく、全ての線香に火がつき線香台に線香を置くことができた後に、ひと呼吸をする。
そして、立ったまま目を閉じ、両手を合わせて母に話しかける。
「もう、あれから6年も経ってしまったよ。そっちでは3人で仲良くやっているかな?今年は○○が、高校を無事に卒業して、4月からは新生活が始まるんだ。入学式は4月の初めにやるそうだから、俺も一緒に行ってくるね。ありがとう」
そんなことを母に報告しているうちに気がつくと5分は経過していただろうか。
本当ならば、小さな椅子を墓の前に置いて座り、1時間くらいは母と話しをしたい心境だったけれど、長居をすると泣いてしまいそうなので母には「また、来るね」と言って墓を後にした。
悪夢の日から6年が過ぎても母(父は、5月で7年)がいないのが信じられないし、今でも母と一緒に行った近辺や大学病院の前は通りたくない。こうして墓参りをしていても、この間まで一緒に墓参りをしていたのに今は1人で墓に来ていることも不思議な感じだ。きっと僕が母の年齢になったとしても、この気持ちは変わらないのだと最近は思えてきた。
自分の子供も独り立ちの準備期間に入ったというのに、いつまでも子供が小さい頃の感覚でいることと似ている。きっと母も僕ら3人の子供達のことをそう思っていたに違いない。親とは、そういうものだろうと年を取るごとに僕も実感している。
そんなことを思いながら墓参りをした桜が満開の母の命日だった。
次は5月の父の命日に墓参りに行く予定だ。