母の闘病とは別なショックなこと

とうとう、その時が来てしまった

母がガンと闘っている最中(さなか)に、とうとう来てしまった。23年間、難病と闘い続け、父の身体はボロボロだった。入退院を幾度となく繰り返し、大動脈瘤の破裂による出血死・・・

実家には夫婦2人で暮らしていた為に第1発見者は、当然のことながら母だった。当日は早朝に電話があって、その時の電話を妻がとり、大きな声で「え~!?」と驚いていた、その声が聞こえなくなると「お義父さん死んじゃったって!!」とまだ、寝ぼけていた俺に伝えてくれた。

一瞬、何を言っているのだか理解できなかったが、そのあと数秒で飲み込めた。そして、約60秒の間、頭の中をもの凄いスピードで整理する自分がいたのを覚えている。

そう、危篤とかではなく、父が死んだのである。

すぐには父に会えず・・・

支度をして実家に着くと、そこはテレビドラマのように、警察による現場検証が行われていた。自宅で人が亡くなっった場合、死因の原因が自然死なのか、それとも事件性があるのかを調べる検死と取り調べが行われることを、この時初めて知った。

よって検死中は、家族であろうと遺体には近づくことができずに父のいる場所周辺は完全に封鎖されてしまっていた。

そういう訳で俺はすぐに父に会うことができなかったのである。

ようやく父に会う事ができた

事情聴取や検死がやっと終わって俺が実家に到着してから約4時間が経過して、やっと父に会うことができた。いつも母が寝ている和室の母の布団の上に父はいた。

亡くなる直前、父は父がいる2階から、いつものように風呂に入ろうと思ったのか降りてきて、そこで急に具合が悪くなり、ソファーに座ったと思われた。母が父を発見した時、父はソファーに座りうなだれている状態だったという・・・

家族で母に一番はやく会ってあげられたのは弟で、母はショックのあまり血の気が引いて顔色が真っ青だったらしく、それから警察が来て検死が始まったと聞いた。父の顔はわりと穏やかで瘤(りゅう)の破裂によって眠るよう逝ったようだった。

父と最後に会話したのは亡くなる3日前で、「それじゃまた、明明後日(しあさって)くるね!」と言って実家を後にしたのが最後になるとは、思いもよらなかったのである。

嵐のような1週間が過ぎて・・・

何がなんだか、わからないまま葬式が終わり、人が亡くなったときにする最初のイベントの幕が下り、ふと思った・・・

「母はこれから独りで大丈夫なのか?」今回の一件でガンの大好物のストレスが沢山かかったはずである。大事をとって葬儀には出られなかったものの、普段は喧嘩しながらも一緒に過ごしてきた連れ合いが、もういないのである。暫くは母から目が離せないと・・・この時、直感的に心配になった。

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