2011.02.17
カテゴリ:母のガン闘病記録
大学病院へ転院をした
M先生、H先生(女医)から詳しい検査の話を聞く。
結果は、卵巣癌ステージⅣだった。
病院を後にして、父が入院している総合病院へ行き、母のことを話した。
「え!?」と、もの凄く驚いて、あの時の父の表情は忘れる事ができない。
悲しい事に父は、この約3ヶ月後に旅立ってしまったので、今思えば、父にもっとやさしく説明をしてあげれば良かったと後悔した。(ジイジごめんね。)
今思うこと 2017年9月11日
総合病院から大学病院へ転院をしたので、僕の心境としては正直ホッとしていた。でも、この時は抗ガン剤のリバウンドの事を知らなかったから「大学病院での治療がダメだった時にどうするか?」という考えは無かった。
今思うと、このタイミングで「相補・代替医療をやっている病院」への転院がスムーズにできるように家族としては動き始めておいても良かったと思う。
結局、大学病院での化学療法は、リバウンドが起きてから効果がなくなって、最後は「もう当病院では、これ以上の治療はできません」そして、「ホスピスへの転院をオススメします」(ニュアンスは、こんな感じだったと思う。)と告知されて、僕は呆然と担当医の言葉を聞いていたのを思い出した。
リバウンド後に抗ガン剤投与をやめて、相補・代替医療をやっている病院への転院が出来ていれば、母を無駄な抗ガン剤投与後の副作用に苦しませずに済んだかもしれないと思うと今も心が痛い。